ふるさと静岡への想い
元NHKアナウンサー 佐塚元章
(静岡市出身65歳)
私は43年間NHKのアナウンサーをしてきました。現在もフリーのスポーツジャーナリストとして現役続行中です。
今回は私の放送体験の中で「ふるさと静岡の選手を語る時の想い」を述べさせていただこうと思います。
それはそれは普通の選手紹介とは全く違うものなのです。郷土愛がそうさせるのでしょうか?
その選手の生い立ち、郷土の風景がアナウンスをしながら自然に目に浮かんでくるのです。具体例を紹介しましょう。
1992年バルセロナオリンピック水泳、14歳で金メダルを獲得し国民を熱狂させた沼津市の岩崎恭子選手の放送は興奮しましたね。沼津五中所属の沼津スイミングセンターを何度も強調しました。と同時に「この娘は14歳で最高目標に到達しこれからどう生きていくんだろうと」妙な心配もしたものでした。案ずるようにその後の競技生活はどん底になり、家族関係もぎこちなくなっていまいました。
しかし彼女は4年後這い上がり、見事にアトランタオリンピックに出場しました。結果は予選敗退でしたが、私は「もう一つの金メダル」として賞賛しています。彼女の名言は「今まで生きてきて一番幸せです」が私は違います。蒲原中学で2人でトークショーをしたとき、アトランタで予選落ちした現役最後のレースでゴールした時、スタンドを見上げたら両親の顔が満員の観衆の中でなぜかしっかり見えた。その時、まるで小学校のころ遠足から家に帰った時のような「ホットした気分になりました」私も小学生のころの「遠足から家に帰ったときのホット気分」を思い起こし感心しました。恭子ちゃんの今はよきママになっています。
甲子園の高校野球は25年間、300試合ぐらいは放送したでしょうか?
しかし静岡のチームを放送したのはたった2回。組合わせ抽選の前にアナウンサーの担当は勤務上決定してしまうからです。夏は昭和61年、浜松西高初出場の初戦をラジオで実況しました。確か宮田守啓君というコントロールいい右ピッチャーがいました。白のユニフォームがすがすがしかったです。アルプススタンドのバス56台8千人の大応援団にも驚きました。