環太平洋大学国際科学・教育研究所 所長・教授
東京理科大学総合研究機構 客員教授
理学博士 川島德道
1948年10月20日静岡県静岡市の生まれです。父は静岡県菊川の生まれで、母は山梨県の生まれです。両親とも富士山を仰ぎながら育ったことになります。今でも親戚が静岡におりますので、よく静岡を訪問いたします。2歳の時に横浜に移り、今に至っています。父が塗料・塗装関係の仕事をしていたので、家業を継ぐべく、東京理科大学応用化学科に進学し、コロイド・界面科学を専攻しました。しかし、弟が家業を継ぐことになり、私は博士課程に進学し、理科大の助手になりました。
1981年、米国ペンシルバニア州にあるLehigh University表面工学研究所でデュポンとの共同研究で印刷の研究をすることになりました。父が病気になり、急遽帰国することになりましたが、帰国の前に、車で42日間かけ家族でアメリカ一周しました。今では良い思い出です。
1983年、凸版印刷とTDKが設立した会社に就職しました。当時最先端であった磁気媒体の表面研磨に用いる超精密研磨フィルムの開発です。当時は3Mや富士フィルムの独壇場でしたが、後発ながら10年後には業界トップとなりました。
1995年、大学に移り、医用材料と医用センサを教える事になりました。それまで企業で行ってきたセラミックスの知識を生かし、人工骨材料の研究と酸素センサの研究を始めました。授業も目新しいこともあり、学生の人気が高まり、医用工学科を設立しました。その後、医用工学部を設立するまでになりました。そして、癌の診断・治療の研究を始めたところ、文部科学省の大型助成金を獲得し、医用工学センターという研究所を立てることができました。更に、癌の光診断・光治療という、癌の患者に光増感剤という物質を投与し、特殊の波長の光を照射すると癌の部位だけが赤くなり(光診断)、また別の波長の光を照射すると癌細胞が活性酸素によって死滅する(光治療)研究で再度大型助成金を獲得し、その後定年退職まで様々な研究を続けて行くことができました。
2012年にこれまでの大学を退職し、4月から現在の環太平洋大学国際科学・教育研究所に勤務することになりました。東京電力が東北大震災の影響で出て行ったTOCみなとみらい16Fのオフィスに入居することができました。横浜でも1番の眺望です。現在は、NPO法人ネイチャーセンター・リセンとカンボジアの中学教員養成所で環境教育の授業を行なっております。更に、中国科学院との共同研究のため、毎年中国の大学での講演なども行っております。
父の仕事は継がなかったものの、その家業のために選んだ学問が結局一生の仕事となっております。改めて、両親に感謝です。