経済エッセイスト・経済キャスター
秋岡 栄子
私と静岡県の縁結びをしてくださったのは昨年亡くなられたエコノミストの竹内宏さんでした。竹内宏さんは、亡くなられる前日まで、担当されていた静岡新聞の原稿の構想を練っておられたとお聞きしています。竹内さんは、経済や社会についての自分の考えを書きしるすということに情熱を注がれた方でしたが、忙しい日々の中で、それに勝るとも劣らない思いで取り組まれたのが「ふるさと静岡県のために」ということでした。
私は、竹内宏さんの秘書を日本長期信用銀行時代、長銀総合研究所時代、退職され竹内経済工房を設立された初期のころとトータルで約20年務めましたので、おのずから静岡県のプロジェクトにかかわったり、県庁や県内への出張に同行する機会も多く、今は私自身が県の通商担当補佐官という役割をいただいております。
いまは出張が多く、1年の半分弱を中国、おもに上海と寧波で、残りの半分は日本で、その三分の一ずつを静岡、都内、東京郊外の実家で過ごします。
静岡は生まれた土地ではないのですが、30数年にわたって途切れることなく何かしらずっとかかわり続け、足を運び、共にあったという点で、家はなくてもそこには私の居場所あるような気がしています。東京から静岡に向かう度、熱海で海を眺め、今日の富士山の姿を目で追い、清水港や県立大学が見えると「さあ、着いた」という気持ちになります。
いま県庁では、輸出にかかわるアドバイスをするのが主な仕事ですが、その時はむしろ「県外者」として、しがらみやひいき目を抜きにして、客観的に静岡と向かい合うことを心がけています。静岡のもつ人材や技術、センスの潜在力を引き出し輸出を通じて、海外のマーケットでそれらを一つのカタチにしたいというのが私の願いです。
先日「ふるさと納税」の振り込みもしてきました。静岡への愛情が人一倍強い竹内宏さんのもとで静岡とかかわった反動でしょうか、私ごときが静岡を「ふるさと」とすることにずっと抵抗があったのですが、志を継いで、これからも少しでもお役に立てればと思っています。