特集

温故知新
2019/02/01掲載
今川義元公生誕500年祭

 

今川義元公生誕500年祭


本年2019年は、戦国時代に駿府を拠点にした今川10代の中でも最盛期を築き「海道一の弓取り」と称された9代今川義元公の生誕500年にあたる。地元静岡市においては「今川義元公生誕500年祭推進委員会(委員長:小和田哲男静岡大学名誉教授)」が立ち上がり、静岡商工会議所を事務局に官民連携の顕彰事業が2017年5月19日「今川復活宣言」によりスタートしました。静岡の経済力・文化力の繁栄の礎を築いた今川氏、桶狭間での敗北によるイメージから政治的・軍事的にも優れた義元公の功績を再評価し、市民の誇り、地域の活性化につなげていく取組みが進められています。



今川義元公生誕500年祭


【今川氏が戦に用いた旗印「赤鳥」を用いたマークを採用したロゴマーク】



今川義元公の命日にあたる5月19日。

2018年には、今川家菩提寺の臨済寺にて義元公の御霊を祀る「今川神廟」の落成を祝う落慶法要が行われました。義元公の廟所は菩提寺であった天澤寺の衰退に伴い江戸時代後期に臨済寺に移され、昭和40年代に建てられた2代目の神廟から、偉人に相応しい立派なものをという思いから今回の再建となりました。



今川神廟今川神廟


写真:水野茂


【義元公が生きた時代のラインに近い御殿風の優美な曲線を大きく描き大きく軒を伸ばした屋根が特徴。最上部の宝寿の部分に合わせた宝塔型の石塔を復元した義元公の供養塔を中央に八代当主氏輝公の石塔が並ぶ。】


生誕500年にあたる2019年は、首塚と同塚がそれぞれ静岡市と豊川市に別れたまま祀られている義元公について静岡市臨済寺にて合同法要が執り行なわれます。1560年桶狭間の戦いに討ち取られた義元公の首は家臣の岡部元信により織田信長から取り戻され駿府に運ばれ、現在の富春院の敷地内の菩提寺であった天澤寺に埋葬された後に臨済寺に移されました。また首を取られた胴体は腐敗がはげしく別の家臣によってやむなく途中の大聖寺(豊川市)で埋葬されることに、この経緯により義元公の亡骸は別れたまま祀られそれぞれのお寺で別々に法要が営まれている状態であったものが、このたびの生誕500年を機に合同法要が実現する運びとなりました。



今川義元公生誕500年祭 2019年の活動予定

同推進委員会は、「今川新聞(駿河今川氏の情報を扱う専門メディア)」の発行、広報大使として任命した義元公をモデルにしたご当地キャラクター「今川さん」による500年祭のPRなど、2019年も多岐にわたり活動を進めています。

■2019年5月3日~6日にかけ、駿府城公園で「今川復権まつり」が開催されます。この「復権まつり」は、今川義元公が京から駿府に持ち込み、現代に伝わる文化や伝統を感じ取ってもらえるよう、ステージでは伝統芸能などの講演を実施。駿府の地に花開いた今川文化をほうふつとさせる茶道や香道の体験講座、和歌のセミナーなども実施します。この他にも蹴鞠のパフォーマンスや体験型ワークショップ等も開催します。

■5月19日午後には静岡市民文化会館で小和田先生による講演会や、児童による今川研究の発表が予定されています。

■JR静岡駅北口広場に現在設置されている「竹千代君像」の隣に「今川義元公像」の設置も計画しており、今後、この銅像の制作・設置に係るクラウドファンディングも予定されています。

■今川義元氏の働きかけにより天文23年(1554年)に甲斐の武田信玄、相模の北条氏康と締結された和平協定である「甲相駿三国同盟」の現代版と言える協力関係を、今年開府500年を迎える甲府と、北条早雲没後500年を迎える小田原の各事業推進組織と進めています。



今川新聞【WEB版 http://imagawa.press/


今川新聞


【プレゼント】2月5日新年祝賀会にて最新発行号を配布いたします。



広報大使の「今川さん」 ⓒ今川さん製作委員会


今川さん



『駿府と今川氏』(今川義元公生誕500年祭推進委員長 小和田哲男氏執筆)


『駿府と今川氏』(今川義元公生誕500年祭推進委員長 小和田哲男氏執筆)


【プレゼント】2月5日新年祝賀会にて20冊を贈呈いたします。



静岡市にある今川家ゆかりの菩提寺等紹介

①増善寺/ぞうぜんじ(静岡市葵区慈悲尾302)
義元の父親である7代今川氏親の菩提寺で、氏親の葬儀に伴う僧侶は、7,000人余りが集まったと言われています。氏親の等身大の木造などがあります。

➁龍雲時/りゅううんじ(静岡市葵区沓谷3-10-1)
境内の奥に義元の母であり「女戦国大名」として知られる寿桂尼の墓石があり、静岡市の史跡 に指定されています。本堂の前には彼女が使用した「歸(とつぐ)」印判を刻んだ石碑もあります

➂清水寺/きよみずでら(静岡市葵区音羽町27-8)
天文年間の末頃に義元または重臣の朝比奈丹波守元長が開基となり、京都仁和寺の道因大僧正を開山として開創したと伝えられています。一説には、駿府を京都になぞらえ、谷津山を東山に見立てて寺名を名付けたとも言われています。

④清見寺/せいけんじ(静岡市清水区興津清見寺町418-1)
鎌倉時代以降の動乱期を経て荒廃していた同寺は、太源雪斎によって天文8年(1539)に妙心寺派寺院として復興されました。臨済寺とともに駿河の臨済宗興盛の中心でした。家康が人質時代に雪斎に連れられ学問を学んだ「家康公手習いの間」があります。

⑤徳願寺/とくがんじ(静岡市駿河区向敷地689)
6代今川義忠の正室、北川殿の菩提寺。苔むした参道や市街地の絶景が印象的なお寺で、さざんかの名所でもあります。

⑥臨済寺/りんざいじ(静岡市葵区大岩町7-1)
義元の兄、8代氏輝の菩提寺として創建され、義元の教育僧や軍師として活躍した太原雪斎が住職を務めました。義元の霊廟もあるお寺。家康が人質時代に預けられていたことでも有名です。

⑦静岡浅間神社/しずおかせんげんじんじゃ(静岡市葵区宮ヶ崎町102-1)
駿河国守護となった今川初代範国は、府中に入るとすぐに参拝しました。また、義元は老母寿桂尼に無上の満足あらんことを祈願して、菩薩舞装束一式を奉納する等、今川家は氏神として庇護しました。人質であった家康(竹千代)が義元を烏帽子親として元服式を行ったことでも知られています。

⑧柴屋寺/さいおくじ(静岡市駿河区丸子3316)
今川氏に仕えた連歌師宗長ゆかりの寺。天柱山や丸子富士を巧みに取り入れた借景式の庭園は、国の名勝・史跡に指定され、京の東山を模した竹林から登る月の風景も優れた寺として知られています。

⑨富春院/ふしゅんいん(静岡市葵区大岩本町26-23)
かつて富春院の北側には、今川義元の菩提を弔うため、10代氏真の命によって開山した陽光山天澤寺というお寺ありました。後の同寺は衰退し、義元のお墓や木造は臨済寺に移して、同寺は廃絶しました。現在富春院には義元の位牌が祀られており、墓地の一角には近年建てられた「今川義元公慰霊塔」があります。




今川義元公生誕500年祭推進委員会

(事務局)静岡商工会議所内
静岡市葵区黒金町20-8
電話054-253-5113

 

 

メッセージ

 

お問い合わせ 03-3265-3933

 

一般社団法人 静岡県人会

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