今月のキラリは、洗足音大教授で、藤原歌劇団オペラ歌手の牧野正人様です。浜松市のご出身です。
浜松市の中心部から少し離れた場所に、NHKの地方局がある。
そこは「牛山」と言って、小高い山の上に赤白ツートンカラーの高いTV塔が立ち、回りには公園があり、そこに牛のモニュメントがあった。その「牛」に纏わる言われは全く覚えていないが、この近所に住んでいた僕は、幼い頃からここでよく遊んだ。数年前の正月、その「牛」の事をふと思い出し、親爺に車を借りて、現在の実家(磐田市竜洋)から小一時間かけて会いに出かけた。真冬なのに草ボウボウに埋もれる様に彼は居た。40年ぶりの再会だ。色は褪せ、片耳はモゲて赤茶色に錆びた鉄の骨組みが剥き出していた。背中に跨ってみた。尻がひどく冷たかったが、心は温かかった。小学生の頃、ここで戦争ごっこをした。中学の頃、友達を傷つけた自分に気づき、一人でふっとここに来た。高校生の時、初恋の女性とここで手を繋いだ。
中学3年生から声楽を勉強し始め、これまで色々な歌をうたい続けてきた。最近になって思うことは「郷愁」に関する歌が何と沢山あることか・・。自分がそういう年齢になったから、目につくようになったのか・・。
『あした浜辺を彷徨えば 昔の事ぞ偲ばるる』・・寄せては返す波は、小さな人間の歩んだ時、営みなど何の意味も無いほど、悠久の昔から、そして未来永劫果てしなく続く。
『古里の河原のひらに行々子(ヨシキリ)は鳴く ひねもす鳴く むかし我が遊びし時と変わることなし 行々子は鳴く 耳痛く鳴く』・・時として故郷の声(音)は、志半ばで戻った者の耳に、胸に突き刺さる。
『兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・~志を果たして いつの日にか帰らん~』・・いったい志を果たす日など、いつ来るのだろう? 故郷に帰れる日など来るのだろうか?
故郷は離れて遠くから見ると、優しく微笑む母の様だ。しかし、帰ってみると、その母の目や声は厳しい。
「何をおめおめ帰ってきて・・。お前の帰る場所は無いよ。」
「・・・分かったよ、母さん。ありがとう。もう少し頑張ってみる。」
そして自分の懐かしい場所、子供の頃の様に甘やかしてくれる場所は、実際もう無いのだ。
あの日から数十年・・・、しかし変わったのは自分だけで無く、故郷浜松も変わった。
懐かしい場所、懐かしい人に再会するには、もう目を瞑るしかない。
故郷でのコンサートやオペラは、藤原歌劇団や新国立劇場での公演よりも何倍も緊張する。
かつて自分を厳しく育ててくれた恩師、温かく送り出してくれた恩人達の前で、成長した?自分を見せる・・・こんな緊張する時間は無い。中央でやるリサイタルを、先ずは故郷で小手調べ的にやる人がいるが、自分はまったく逆と考えている。東京で、ある程度認めてもらったものを、地元に持って行って真剣勝負で歌う。愛する故郷のため、母のため。志を果たせる日を夢見て、日々、思い新たに、心を籠めて歌い続けている。
最近僕は、自分のことを「ノスタル爺」と呼んでいる。
牧野正人
(藤原歌劇団々員・洗足学園音楽大学教授)