国宝 久能山東照宮
◎御祭神
贈正一位 徳川家康公
神 贈正一位 豊臣秀吉公
贈正一位 織田信長公
◎御創建
御祭神徳川家康公は天文十一年(1543)十二月二十六日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)に生まれました。あらゆるの末、戦国時代に終止符をうち江戸時代二百六十年に亘る世界に其の比を見ない長期平和の礎を打ち立てられ、学問・産業・文化の基礎を確立しました。晩年は駿府城に隠居されましたが元和二年(1616)四月十七日七十五歳で、御遺命によりその夜久能山に葬られました。その後東照大権現として平和・学問・厄除けの神様として崇められ、全国東照宮の創祀・根本大社として全国から幅の広い崇敬を受けています。
◎祭事略
御 例 祭 四月十七日(家康公薨去の日)
春季大祭 二月十六日(御具足祭)
二月十七日(大祭)
秋季大祭 十月十七日
毎月一日
毎月十七日
毎月二十六日
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◎建物
二代将軍秀忠公の命により宰相頼将卿(後の紀州家の祖卿)が総奉行となり中井大和守正清を大工棟梁として元和二年(1616)五月着工、同三年十二月に至る僅か一年七ヶ月と云う短期間に造営されたものです。権現造・総漆塗・極彩色の社殿は日光東照宮より十九年前に造られ、日光と比較すると一見地味の感はありますが、彫刻、模様、組物等に桃山時代の技法をも取り入れられた江戸時代の代表的建造物として高い評価を受けており、平成二十二年十二月二十四日国宝に指定されました。また、神饌所も同日付で重要文化財に追加指定されました。尚神廟・日枝神社・神庫・神楽殿・鼓楼・神厩・楼門等の諸建造物も昭和三十年重要文化財に指定されています。
・御社殿
元和三年(1617)建立。本殿・石の間・拝殿の三棟からなる、いわゆる権現造の形式をもつ複合社殿で、徳川幕府大工棟梁中井大和守正清の代表的な遺構のひとつでもあります。江戸時代を通じて権現造社殿が全国的に普及する契機となった最古の東照宮建築として、平成二十二年国宝に指定されました。
・神廟(家康公のお墓所)
御本殿の裏手約五十mの所にあり御遺命により御遺骸を埋葬し、西向きに建てられています。塔は高さ五、五m外回り八mの石造りで、参道には諸侯奉納の石灯籠が並んでいます。
◎家康公の遺言
本光国師(金地院崇伝)日記によると元和二年(1616)四月二日、徳川家康公は病の重態なるを知り、本田上野介正純、南光坊天海、金地院崇伝等を召して、死後の処置に関し、遺体は駿河の久能山に葬るべきこと、葬礼は江戸の増上寺に於いて行うべきこと、位牌は三河の大樹寺に立つべきこと、一周忌過
ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請すべく、これによって関八州の鎮守となるべきことを遺命されました。
◎久能山東照宮博物館
収蔵する資料は東照宮伝世の宝物で、御祭神家康公をはじめ歴代将軍の品五百件・二千余点(国宝一件・重文刀剣十三件・重文甲冑三件・重文徳川家康公関係資料七十二種)を数えます。その特色は、徳川家康公の日常品がまとまっていること、徳川歴代将軍の武器・武具がそろっていることで、歴史博物館として国の内外より注目されています。
・太刀銘(国宝)
二代将軍徳川秀忠公が元和三年(1617)十二月の正遷宮に際して久能山東照宮に奉納したものです。刀身は備前国真恒の作、拵は糸巻太刀。
・洋時計(家康公使用・重要文化財)
慶長十六年(1611)にスペイン国王より海難救助の謝礼として徳川家康公に贈られた時計で、ゼンマイ仕掛けの時打付時計としては現存する日本最古のものです。平成二十四年五月英国大英博物館時計部門最高責任者デービッド・トンプソン主任学芸員の調査により、四百年前のオリジナル部品がほとんど損傷されることなく現存している西洋時計として、世界的に見ても大変貴重な最高傑作と評価されました。
・金陀美具足(家康公所用・重要文化財)
永禄三年(1560)五月、今川義元の属城である尾張の大高城に、義元の属将であった十九歳の松平元康(のちの家康公)は重囲を冒して兵糧を搬入することに成功しました。このとき着用していたのがこの具足です。
◎アクセス
JR静岡駅より
しずてつジャストライン静岡日本平線「日本平」バス停下車、静岡鉄道日本平ロープウェイにて5分
東名高速利用
静岡・清水各ICより日本平へ 約40分、静岡鉄道日本平ロープウェイにて5分
◎連絡先
〒422-8011 静岡県静岡市駿河区根小屋390 久能山東照宮社務所
TEL/054-237-2438 FAX/054-237-9456
ホームページ:
http://www.toshogu.or.jp/