今月は、「リング」「らせん」の原作者
作家の鈴木光司さんです。
ご多忙の中、1時間半のインタビュー時間をいただきましたが、ありがたいことに30分もオーバーして様々なお話をお聞かせくださいました。
「リング」「らせん」「ループ」「仄暗い水の底から」「エッジ」等の数々のベストセラーを執筆され、「リング」シリーズに至っては10本もの映画として世に送り出されてきました。「今までにないタイプのホラー」と国内外で高く評価され、数々の賞を受賞されていらっしゃいます。
2013年7月には、「エッジ」でアメリカの文学賞「シャーリージャクソン賞」を、日本人作家として初めて受賞されました。
そこに行き着くまでの鈴木さんの人生を垣間見ると、ガリレオの福山雅治風に言うなら「実に面白い!」
まずはインタビュアーから多少の失礼を覚悟の上で、簡単に紹介させていただきます。
「浜松で地域トップの進学校、浜松北高に進むも、バンド活動に張り切り過ぎて追試の常連のまま卒業。2年間の準備期間を経て、小説家になるべく慶應義塾大学文学部仏文科に入学。仏文科の専攻のはずが恩師の影響から哲学、思想にどっぷり浸かり、これが将来執筆する「リング」シリーズの礎となる。
卒業後は小学校時代にロックオンした初恋の相手を射止めるため、持ち前の図々しさを生かし猛烈プロポーズ。結果、半ば強引に結婚を承諾させる。小説を書くための素材を集めるべく人生経験を積むためと、働く妻に代わって子育てを実践。専業主夫の傍ら自宅で学習塾を開き、一人で全教科を教えながら小説を執筆していた。デビュー作と思って挑んだ「リング」が横溝正史ミステリー大賞最終3候補まで残るも最後で落選。そのショックを引きずることなく、気持ちを切り替えて直後に執筆した「楽園」で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を得て作家デビューとなった。
後に「リング」も出版されることになったが、ミステリー大賞を受賞しなかったことが後々に幸運をもたらす。受賞していたら、その映像化権は賞の主催者に帰属することになっていた。「リング」がテレビドラマ化されたのを皮切りに、東宝正月ロードショーとして全国公開され、連続ドラマ、ビデオ、DVDまで制作された。運を味方につけた男はその映像化権をしっかり保持したまま、ついにハリウッドにまで進出して「ザ・リング」「ザ・リング2」として展開されていった。著作は世界20か国以上に翻訳されている。主夫として子育てを行った経験から、「文壇最強の子育てパパ」と評され、「子育て」にフォーカスしたエッセイも好評中。」
素晴らしく変化に富んだ人生です。様々な人やチャンスとの出会いがあり、それらを自らの意志と努力で生かしてきた結果、天も味方したという人生かと思います。
詳しくは「人間パワースポット~成功と幸せを“引き寄せる”生き方~
この男、なんでこんな前向きに育っちゃったのか。」を参照。
▼これまでの素晴らしい作品、輝かしい受賞経歴から、世界に名が知られた数少ない日本人、いや静岡県人のお一人ですが、はじめに現在の作家というお仕事に至ったきっかけを教えてください。
大きくは3つあります。
まず初めは、小学校4年生の時に同じクラス内でいじめがあり、助けてあげられない自分の不甲斐なさに悩んでいた時に、宮沢賢治の伝記を読んだことがきっかけです。伝記の中には、小学生の賢治がいじめを目撃したエピソードの記述があり、自分とシンクロさせて読むことができ、不安の解消が自信へとつながっていきました。同時に、彼を真似て詩を書き始めるようになりました。
2つ目は、小学校5,6年生の時の担任の先生が国語教育に熱心な先生で、400字詰め原稿用紙3枚分の日記を毎日書かせられたことです。大して変わることのない日常生活を送っている小学生にとって毎日異なったことを書くのは至難の業ですが、だからと言って毎日同じことを書くのは嫌でした。そこで空想で小説を書くことにしました。先生に提出すると、「日記の代わりに小説を書いてきた生徒がいる」と僕の描いた小説を朗読してくれたのですが、最後に先生は「この小説を書いた生徒は作家の才能があるかもしれないね」と言ってくださったのです。「リング」「らせん」がヒットした後で先生と再会できたときに確認したところ、「絵の下手な子にはうまいと褒める。歌の下手な子にはうまいと褒める」というのが当時の先生の教育方針だったそうです(笑)
3つ目は高校卒業後の浪人1年目の夏に太宰治の「人間失格」に出会い、夕飯時も手から離すことができないほど魅了され、小説の面白さに開眼していったことがきっかけです。様々な日本文学、海外文学、推理小説から歴史物までジャンルを問わず広く読みあさることになりましたが、靄がはれ、その向こうから迫ってくる対象物が明らかになった瞬間、心に決めました。・・・そうだ、作家になろうと。
ですから、静岡に住んでいた時から既に作家になることを決めておりました。
▼作家として、今後はどのような作品を手がけ、作品を通してどのようなことを伝えていかれようとお考えですか?
僕が書く小説は基本的に男の物語です。男には男性特有の集中力や瞬発力、爆発力があり、そこに拘った小説をこれまでも書いてきましたし、これからも書いていきたいと思っています。そう考えるようになったきっかけは、大学で欧米文学と哲学を学んできたことにあります。情緒的に物事を判断しがちな日本人に哲学的な論理的思考力が身に付いたら、日本を、人類を正しい方向に導く素晴らしい判断ができるようになるのではないかと感じたのです。
太古の昔、人類はアフリカ大陸から始まり、ヨーロッパに向かい、アジアに向かい、そこから南北に分かれて東へ進みました。南に進んだ民族は東南アジアあたりからミクロネシア、ポリネシアへと渡り、最後にイースター島で終わっていますが、北に進んだ民族はベーリング海峡を渡り、アラスカを経由して北米、そして南米まで行き着きました。人類全体で見ると「東へ、東へ」と移動して行きました。人類の移動の歴史を俯瞰すると、人間のDNAには「行けるスペースがあったら行け」「動き続けろ」というプログラミングがされている気がします。「動き続ける」の対立概念として、ガン化し、動きを止めてしまった世界の悪を、ぼくは『ループ』という作品で描きました。
地球上を網羅した人類が、科学技術の発展と共に「次に進む先は」と考えると、宇宙ではないかと思います。
科学技術の発展は、多くの苦難を乗り越えてきた人類の「勇気と論理的思考力」の賜物です。古来より人類の四つの悲劇と言われているものには「洪水」、「疫病」、「飢餓」、「戦争」がありますが、この中で戦争以外は自然を源とするものです。自然は人類に恩恵をもたらしてくれますが、同時に、気まぐれで危険なもの、怖いものなのです。人類はその怖さを知った上で、自然の影響力を最小に抑える方法をこれまで考えてきました。古代エジプトでは、天文学や暦を発達させ、ナイル川の氾濫に周期性を見出し、その結果、ナイル川が運んできた豊かな土壌を手に入れました。医学を発達させることにより、恐ろしい疫病を無害化し、難病を治療できるようになりました。人類の「勇気と論理的思考力」が科学技術を発展させ、洪水も疫病も飢餓(ほんの百数十年前まで人類のほとんどが飢えていた)も少しずつ克服してきているのです。むしろ怖いのは内部からの崩壊にあります。
紀元前の頃からピラミッドを作り、文字が使われていたマヤ文明は、西暦900年頃を境に、マヤ低地南部の多くの都市が衰退してしまったと言われています。ピラミッドを作るには一定レベルの物理学や数学が必要であり、高度な文化・文明を営んでいたはずです。マヤ文明がなぜ衰退してしまったのかについては未だ解明されていませんが、何かのきっかけで、急激な人口増加と減少が起こり、前に進もうという意欲を失ったのではないかと推測しています。つまり、バランスが崩れたのです。人間は外部からの圧力に対しては意外と強いものですが、内部からの崩壊については脆いのではないかと感じております。
未来に待ち受ける困難な問題を放棄して、昔ながらの生活に戻ろうとする考え方を「下山の思想」と言いますが、これは人類の発展そのものを放棄する危険な発想なのです。「より安全で豊かな生活を手に入れよう」と、これまで人類は勉強に勉強を重ね、困難な上り坂を上ってきました。目の前の苦しさに負けて後退することを覚えてしまったら、どこまでも下り続けてしまうリスクが生じます。自然にどっぷりと漬かる縄文時代の生活が理想であるとしたら、勉強の意味が見いだせなくなってしまいます。金儲けをして経済的に豊かになろうというわけではありません。動き続けている限り、われわれの前には常に新しい局面が出現します。自然界に潜む規則性を発見し、未来の姿を、ぼんやりとではあっても把握するのが、勉強の役割です。規則性がわかれば、未来は明るくなり、生きていく上での安全性が高まり、前に進もうという意欲へとつながります。
「大変だから」「危ないから」と情緒的に目の前の苦難から逃げるのではなく、「自然はどうなっているのか」、「宇宙はどうなっているのか」その原理を理解した上で、将来に目を向け、よりよく克服していく道を人類は考えなくてはなりません。後戻りは多くの不幸を生みます。最悪の場合、絶滅に至る道となりかねません。
オスとメスから新たな命が誕生し、生命が進化していったように、相反するものが互いに補い合って次の世代に活力を渡すべきと感じています。男性が女性化し、女性が男性化し、性が同一化してしまうのではなく、一定の距離が保たれていた方が良いような気がします。DNAが二重螺旋の構造になっているのは、一方が損傷したときには一方が修復して、互いに補う合うためです。二本の紐がくっついて一本になってしまったら、多様性が失われ、生命は絶滅に向かうしかないのです。
生命の基本はメスであるため、その太い幹から枝分かれしたオスの基盤は生来脆弱です。常に男であらねばと意識しない限り、元の幹に戻ろうとする傾向を持ちます。
いつの世でも、男性性と女性性のバランスを保つことが大切なのです。今、日本を見渡せば、女性化が進んでバランスが崩れているように感じられてなりません。
多様性、バランスという観点を踏まえ、もし僕が男の子の父親であったなら、子どもには「勇気のある男らしい男になって欲しい」と望みます。どんな作家になりたいかと訊かれれば、「読んでくれた人に、勇気と元気を与えられる作家」と答えています。読者に与えたいのは、優しさや癒しではなく、あくまで勇気と理性です。日本のために、人類のために勇気をもって英断できる男性性を作品の中で訴えていきたいと思います。
▼静岡の思い出を教えてください。
静岡では19歳までしか過ごしませんでしたが、今の僕があるのは、小学生時代に小説家としての下地を作ってくれた先生方や、毎日の日記の提出を競い合った友人、高校で追試を受ける僕のために必勝ノートを作成してくれた友人、多くの仲間たちとの切磋琢磨や助け合いがあったからだと感じております。そして何より大きいのは、「男はいざというときには一発勝負をかけるのよ。安定と安全ばかり求めていては、大きな果実は取れない」と耳元で囁き、冒険を奨励してくれた母の存在、そしてまだ作品も出しておらず収入も不安定だった僕を「あなたは、何をやっても食っていける逞しさを漂わせている」と共に人生を歩むことを決断してくれた妻のおかげだと感じております。静岡の思い出は勿論数多くありますが、人生の大切な家族や仲間を僕に与え、彼らと過ごした日々を育んでくれたありがたい故郷だと感じております。
学園祭のステージ。
ロックンローラーだった高校2年、16歳の頃
▼これまでの子育て経験から子どもの教育に関する書籍も書かれていらっしゃいますが、子どもの教育には何が大切だと思われますか?
子どもの教育には、「文章を書かせること」が大切だと考えております。文章を書くと論理的思考力が身に付くようになります。文章には論理的な明晰さが端的に現れます。言語が乱れて矛盾が生じ、矛盾が限界を超えるまでに降り積もると、悪に変わるのです。例えば、人をいじめる子どもに、「なぜいじめるのか?」と尋ねると、「嫌いだから」と返ってきたとします。「では、なぜ嫌いなのか?」と更に尋ねると、「ノロマだから」と返ってきたとします。「ノロマな子はいじめても良いという根拠はどこにあるのか」とねると、たぶん答えに窮するでしょう。子どもは、自分のしたこと、しようとしていることに、論理的な説明がつかないことに気付いていきます。こうして大多数の子どもは、「友達がいじめていたから何となく一緒にいじめていた」という状況をおぼろげながら理解し、乗り越えようとする対象を絞り込むことができるのです。
何か事件が起きるたびに、学校で道徳の時間が増えたり、ホームルームで事件についてクラスで話し合う時間が設けられたりしておりますが、道徳の時間に「優しさ」や「情緒」を教えても大きな効果はありません。
「優しさ」や「思いやり」は、恐怖や怒りの炎でいとも簡単に吹き飛んでしまいます。勇気に裏打ちされた理性のみが、危機的な状況に対して、踏みとどまる力となるのです。
たとえば、川で溺れ掛けている人に遭遇したとします。人間である以上、「助けてあげたい」という衝動が生まれるのは当然です。「かわいそうに」と思いつつ右往左往しているだけでは、助けることはできず、優しさは何の役にも立ちません。慌てふためいてやみくもに川に飛び込んで、自分も一緒に溺れてしまってもいけません。その時の状況を冷静に判断して限られた時間の中で最善の策を見つけ行動することによって、優しさは大きな価値を持つのです。大切なのは、優しさの多寡や心の内に秘めた情緒ではなく、外に向かって表現する形式の正しさなのです。
では、状況を瞬時に見極め、より正しい判断をするためには何が必要でしょうか。常日頃からの、論理的思考に基づいた勉強、文章を書く習慣を身に付けさせるのが効果的だと感じています。
「生きる力」とは、「なんとなく」と情緒や風潮に流されてしまうことなく、理性に従い論理を整理する力だと僕は考えています。それが、理性に基づいた正しい判断を育み、一人前の大人に成長させていくのだと思います。
そのテーマのもとに執筆したのが、太平洋戦争間末期における特攻作戦の誤謬を描いた「鋼鉄の叫び」です。僕自身、軽飛行機の操縦を習い、パイロットの肉体感覚をつかんだ上で構想、執筆したため、特攻出撃の描写は迫力満点です。
▼最後に、静岡県出身の後輩たちに一言お願いします。
生命とは驚くほど、受身的な存在です。人間は自らの意志でこの世に生まれて来るわけではありませんし、人生においても意志の自由が働かせられる余地はほとんどありません。「まったくない」のであれば、その行為を諦めるしかありませんが、「ほとんどない」のであれば、自由を発揮できるチャンスに恵まれたらその機を逃さないで欲しい。集団の内部に安住して流されてばかりいると、自分で物事を判断して決定するチャンスは間違いなく減ります。自分の頭で判断して、決定できるときは、「その権利を放棄せずに勇気を持って挑もう。そのためにも常日頃から未来に向けて想像力の網を張り巡らせ、物事を論理的に考えた後に直感を働かせる習慣を持とう。自らの中に培われた力が、チャンスに出くわした時に幸運をもたらしてくれるだろう」と伝いたいですね。